1 :アレ浦和 ★:2020/04/25(土) 21:05:11 ID:oRbrSD8N9.net
◆デビュー3戦目、本拠地初登板。
この曲が初めてドジャースタジアムで流れたのは、1995年5月12日のセントルイス・カージナルス戦。
野茂にとってはデビュー3戦目の登板も、本拠地初登板の試合だった。
今はどの球場に行っても、選手の登場曲はPAシステムから原曲が流れる時代となったが、当時のドジャースタジアムは違った。選手の出囃子も7回に流れる「Take me out to the ballgame(私を野球に連れて行って)」も5階にある記者席の右翼側に座るナンシー・へフリーさんが弾くオルガンから奏でられた。
’88年から数年前までオルガニストを務めたナンシーさんに『SUKIYAKI』を選んだ理由を聞いたことがある。彼女の言葉は温かかった。
「日本から異国にやって来た彼を励ますことは出来ないかと、私なりに考えました。私が知っていた日本の曲で一番有名だったのがこの曲だったんです」
◆ドジャースの「青い血」。
5月2日のジャイアンツ戦で5回無失点でメジャーデビューを果たした野茂だったが、2戦目は海抜1600メートルの高地、ボールが通常より20%近く飛ぶと言われていたデンバーのクアーズフィールドで4回2/3で7失点。投手に本塁打を許すオマケもついた。そこから中4日で迎えたのがこの試合だった。
カリフォルニア・ブルーの空の下、三塁側ベンチからとぼとぼとマウンドへ向かうメジャー未勝利の野茂の姿と『上を向いて歩こう』のメロディーが重なり、少しセンチメンタルな気持ちになったことを覚えている。
ドジャーブルー。今でも聞かれるフレーズだが、当時のドジャースはこの言葉が代名詞だった。
チームカラーの青にちなみ、トミー・ラソーダ監督の「私にはドジャーブルーの青い血が流れている」は、彼の決まり文句だった。黒人初の選手となったジャッキー・ロビンソンに門戸を開いた父ウォルター・オマリーオーナーの後を受けたピーター・オマリー氏が家族経営で率いるドジャースは、まさに血の通った温かみが何よりの売りだった。
2020/04/25 20:00
https://number.bunshun.jp/articles/-/843264?page=
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3 :アレ浦和 ★:2020/04/25(土) 21:06:59 ID:oRbrSD8N9.net
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