1 :砂漠のマスカレード ★:2020/04/11(土) 12:23:34 ID:/dJUQfwP9.net
「他の人が知らない志村さんを僕はたくさん知っています。すごく大切なものを教えていただき、弟子のときは一緒にいることが当たり前でしたが、離れてより志村さんの存在の大きさがわかります。
志村さんと一緒にいられた時間は贅沢で本当に夢のようでした……」
そう語るのは、3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けん(享年70)の弟子で、現在は故郷の鹿児島でタレントや、ご当地レポーターとして活躍する乾き亭げそ太郎氏(49)。
「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)ではメガネをかけた家来として出演。
90年代に「ドリフ大爆笑」や「志村けんのだいじょうぶだぁ」(ともにフジテレビ系)など多忙を極めた志村と7年間、365日ずっと傍らにいたのがげそ太郎氏だった。
師匠の突然の訃報を受け入れられず、一度は取材を断られたが、「志村さんの芸に対する思いを少しでも皆さんに伝えられたら」と、
「文春オンライン」にこれまで語られることのなかった“師匠・志村けん”の横顔を明かしてくれた。
「師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから『さん』付けで」
げそ太郎氏が師匠・志村との出会いを振り返る。
「子どもの頃からドリフターズの志村さんが大好きで、94年11月、23歳のときに芸人になりたいと思って鹿児島から上京しました。
志村さんの番組を観ていたらいつも番組のエンドロールに『イザワオフィス』と書いてあったので、事務所に行けば志村さんに会えるかもしれないと思って、なんの連絡もせずに事務所を訪ねました。
そしたら、ちょうど志村さんの運転手を募集していて、面接を受けたら合格したんです」
げそ太郎氏が初めて志村と顔を合わせたのはその1週間後。麻布十番にある志村の行きつけの喫茶店だった。
「緊張してあまり記憶がないのですが、志村さんに『芸人を目指してオレのところに来ても、教えることはないぞ』と言われました。
そのときに僕が『これからは志村さんのことを師匠と呼んでいいですか?』と聞いたら、
『芸人たちはオレを師匠と呼んでいるけど、自分の弟子から師匠と呼ばれるのは恥ずかしいから「さん」付けでいいから』と言われました。
なので、僕は志村さんのことを一度も“師匠”と呼んだことはなく、今でも“志村さん”と呼ばせていただいています」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200411-00037114-bunshun-ent
4/11(土) 6:00配信
358 :名無しさん@恐縮です:2020/04/11(土) 21:20:01 ID:K2ZOe1EY0.net
332 :名無しさん@恐縮です:2020/04/11(土) 19:42:17 ID:8z6swXFb0.net
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456 :名無しさん@恐縮です:2020/04/12(日) 20:31:52 ID:0OGQNfE00.net
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340 :名無しさん@恐縮です:2020/04/11(土) 20:12:45 ID:yYiK13Sp0.net