1 :砂漠のマスカレード ★:2019/12/11(水) 16:13:59.81 ID:N8UlAelM9.net
◇決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(10)
戸惑いの連続で、一日があっという間に過ぎていく。
サラリーマンとして第二の人生をスタートさせた島袋は「野球とは全然違う疲れ方ですね。覚えることが多くて大変です」と苦笑いした。
入社したのはサポートギアなどを扱うメーカー「アスリートビジョン」。
販売員として東京、横浜の店舗で働いている。
「僕がプロに入ってから肘のサポーターなどを使わせてもらっていた。興味がある分野だったので、決めました」と話した。
生活拠点を東京に移し、妻を沖縄に残しての単身赴任生活。
「通勤時間の満員電車が本当に苦手」と、朝は自宅を出る時間を早め、各駅停車の電車で座席を確保する。
食事面の苦労も多いが「米だけ炊いて、総菜を買っています」。学生時代にアルバイト経験もなく、パソコンの使い方から学んだ。
「エクセルって何だろう」というレベルからのスタートだったが、メールや資料のプリントアウトなどはこなせるようになった。
興南では10年にエースとして甲子園春夏連覇の立役者となり、沖縄は「トルネード旋風」に沸いた。中大を経てソフトバンク入り。
プロでは1年目に2試合に登板したが、2年目以降は1軍に呼ばれることはなかった。「春夏連覇がなかったら、あの後の僕はなかった。
プロでは結果が出なかったけど、悔いはない」と5年間のプロ生活を振り返った。
将来の夢は、故郷の沖縄で野球の指導者になることだ。興南の我喜屋優監督からは「(指導者の)道の中に興南もあるよ」とエールを送られたという。
プロでは左肘を手術するなど、リハビリ生活も経験しただけに「プロで教わったことがたくさんある。
指導者になれば経験したことを言ってあげることができる」と自身の体験談も指導に生かす構えだ。
11月に一度、沖縄に帰省し、故郷への思いを再確認した。「僕にとって沖縄は特別な場所。甲子園は想像はできないけど、やるなら上を目指していきたい」。
まずはサラリーマンとして野球以外の世界を勉強し、視野を広げる。そして、母校を率いて甲子園の頂点へ。島袋の新たな挑戦が始まった。(川島 毅洋)
◆島袋 洋奨(しまぶくろ・ようすけ)1992年(平4)10月24日生まれ、沖縄県出身の27歳。興南では10年に甲子園春夏連覇。中大から14年ドラフト5位でソフトバンク入り。
17年に左肘の手術を受け、同年オフに育成選手として再契約。今季ウエスタン・リーグで3試合登板、1勝0敗、防御率6・00。1メートル74、76キロ。左投げ左打ち。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00000113-spnannex-base
12/11(水) 9:30配信
25 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 18:34:56 ID:5Y4CYfJG0.net
11 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:38:41.36 ID:HHzy67XY0.net
9 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:27:26.75 ID:P4k9Fz5C0.net
7 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:25:07.13 ID:oKxuE2NU0.net
27 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 18:48:04 ID:cT4983k00.net
24 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 17:33:57.61 ID:nwZjGXa6O.net
29 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 19:22:53.26 ID:LrshNYYg0.net
15 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 17:09:26 ID:actlnNC60.net
17 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 17:14:55.47 ID:CfZWi1j00.net
30 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 20:04:13 ID:Clj/t08d0.net