1 :砂漠のマスカレード ★:2019/12/11(水) 16:17:51.76 ID:N8UlAelM9.net
【コラム 竹下陽二の「Only Human〜みんなただの人間〜」】

野球評論家の野村克也夫人、サッチーこと沙知代さんが2017年12月8日に急死して2年が過ぎた。
「サッチーが亡くなったのは、今みたいに寒い日だったなあ」とふと思ったら、命日の翌日だった。
そして、大切なことは、意外とその人が亡くなった後に気付くものだなあ、今さらながら思う。

思い出すのは、沙知代さんがあの日、確かに見せた「泣き顔」とその後に起きた私に対する「激怒事件」である。
私は2006年4月に「野村克也 クソッタレイ!」(学研)なる本を出版した。
クソッタレイはノムさんがよく口していた反骨の言葉であるが、出版後、間もなくすると、私の携帯電話が鳴った。

「アンタ、よくもあんなデタラメ書いてくれたわね。まあ、クソッタレイは良いわよ。
でも、私がアナタの前で泣くわけないでしょ!うぬぼれるのもいいかげんにしなさい!」

電話の向こうの声の主は怒っていた。沙知代さんだった。私は「そんなつもりでは…」と説明を試みたが、生きた心地がしなかった。
人生の中であれほどの恐怖を感じたことはない。

本の中の一文が、沙知代さんの逆鱗(げきりん)に触れたようだった。2001年冬、ノムさんは3年連続最下位の責任を負って、阪神監督を辞任した。
沙知代さんの脱税容疑による逮捕も足かせにもなっていた。私は「それからのノムさん物語」を知りたくて、東京都内の野村邸をたまに訪ねた。
そして、ある日、野村邸を訪れ、帰り間際、玄関先で沙知代夫人に呼び止められ「あの人、ずっと家にいて、元気ないのよ。主人を励ましてやって。
もう1回、野球をやってほしいのよ。イキイキしてほしいのよ。だから、元気づけてやって」とお願いされた。自責の念もあったのだろう。
その時、ノムさんの前でも泣いたことない沙知代さんの声は震えて、目に光るものがあった。
「サッチーが泣いている」と思ったことを今でも覚えている。しかし、本に書く段階になって、本当にサッチーが泣いていたのか、自信がなくなった。
沙知代さんに会って、あの時、泣きましたよね!ね!ね!と確認するのもヘンである。
だから、文中では、「今にも泣きだしそうだった」と表現をゆるめた。
私は沙知代さんのノムさんに対する愛情とか優しさを表現したつもりだったが、沙知代さんは自分の弱さを世間に知らされたという思いがあったのかもしれない。

以来、私は沙知代さんの陰におびえることになった。ノムさんに「間に入って、誤解を解いてください」と頼んだが、われ関せずとつれなくされた。
ボクシングの世界戦を取材に行った時、リングサイドの最前列で試合を見ていると、ゲストで呼ばれていた沙知代さんがリングの反対側の最前列にいるではないか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00010018-chuspo-base
12/11(水) 12:42配信

26 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 19:30:29 ID:XDlWABlQ0.net

>>7
パタヤビーチ

16 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:39:03.86 ID:Jy4iNd6s0.net

ちゃんと読んでるんだな

16 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:39:03.86 ID:Jy4iNd6s0.net

ちゃんと読んでるんだな

28 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 19:54:56 ID:LrshNYYg0.net

>>8
野村沙知代のバックがどんだけ怖いんだって
思わなかった?

20 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:49:20.04 ID:TpeztSCg0.net

まあ、インパクトのある人だったな

19 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:47:14.49 ID:T9N58dRZ0.net

長いよ

7 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:23:08.57 ID:JoIKRjSS0.net

サッチーミッチーってなんだっけ

14 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 16:34:47.27 ID:a/zd2KIY0.net

27 :名無しさん@恐縮です:2019/12/11(水) 19:52:00.82 ID:f6qI75UD0.net

人気だったサッチーを舞台に引っ張り出したミッチーの商売っ気が引き起こした騒動だった
悪いのはミッチー

2 :砂漠のマスカレード ★:2019/12/11(水) 16:18:16.45 ID:N8UlAelM9.net

私はまるで逃亡犯のような心理になった。リングを隔てて沙知代さんと視線が合わないように、腰をずらして座り、イナバウワーの態勢でノートで顔を隠し、ノートの隙間からリング上の激闘を観戦した。
気のせいか、殺気はリング上の男たちに勝るとも劣らなかった。若気の至りだが、約30年前、若き日の工藤公康・現ソフトバンク監督と怒鳴り合ったことや、清原和博さんともめたこともあるが、沙知代さんの前では萎縮した。
言いようのない人としてのスゴみがあった。しかし、それから、数年後にノムさんの講演会後の控室で沙知代さんと再会した。おそるおそる、「その節はどうも」とあいさつすると、「あーら。お久しぶり。東スポさん」と優しげにニッコリ。
「いやいや、トーチュウ(東京中日スポーツ)です」と返した記憶がある。沙知代さんの怒りはとっくに冷めていて拍子抜けした。

話は前後するが、沙知代さんと言えば、こんなこともあった。阪神監督辞任後、ノムさんは社会人野球シダックス監督として、2003年夏の都市対抗野球大会で準優勝。試合後の東京ドームのプレスルームで沙知代さんとバッタリ。
沙知代さんと話すときは、どうしても緊張してしまう私は沈黙に耐えきれずに「ノムさんにもう一度、プロ野球の監督になってほしいです!」と口から出任せを言った。当時としては、もう過去の人でプロ復帰の実現性はほぼゼロだった。
社交辞令を言ったに過ぎなかった。沙知代夫人はうんともすんとも言わずに気のせいか不機嫌になってその場を離れると、そばにいた知人と雑談を始めた。
見え透いたウソを見破られたかなあ、まあ、仕方ないと思って、そのやりとりも忘れた約30分後に、沙知代さんが私の元にやってきた。
「アンタ、見え透いたウソ言うんじゃないわよ!」と言われるかと身構えると「さっき、あなたの言った話、ホントになりますよーに」と耳元でまるで呪文のようにつぶやき、あでやかに笑って立ち去った。
のちに、楽天監督として奇跡の復活を果たすが、プロ監督に戻すことが、沙知代さんの悲願であり、ノムさんへの罪滅ぼしだったのかもしれない。

沙知代さん作詞で、ノムさんが歌う「女房…」(作曲三木たかし)なる歌がある。心にしみる名曲だと思う。夫婦愛と反骨魂の詰まった歌である。このコラムを書く前に聴いてみた。歌い出しはこうである。

♪女房よ わしはいまだに お前の涙を見たことないわ わしが上に行くまで 大事に ふくろに入れておけよ…

沙知代さんのお別れの会でも何度何度も会場に流れた歌なのに、いまさらながら気付いた。沙知代さんは、ノムさんを見送って、その後に自分があの世に行くと決めていたのだ。
それが、自分の最後の務めだと。そうだったったんですね!「だから、あそこで泣くわけないわよ。アンタ、鈍感ね。気付くの遅いわよ!」。沙知代さんの声が聞こえてきそうである―。