1 :砂漠のマスカレード ★:2020/02/01(土) 08:02:15 ID:6nqEW9yl9.net
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇〜 柱谷哲二(3)
1993年10月、アメリカW杯最終予選に向けての日本代表メンバー22名が発表になり、初のW杯出場を目指す日本代表を応援しようと国内の熱が高まっていた。
Jリーグが開幕し、日本中がサッカー一色になり、その勢いが日本代表にも伝播したのだ。
W杯最終予選前に、国内でアジア・アフリカ選手権が開催された。
この大会前、日本代表のキャプテン・柱谷哲二は、肝機能を低下させるウイルス性の風邪のために8月上旬から1カ月ほど入院生活を送った。
コートジボワールとの試合の時は復帰して2週間しか経過しておらず、ぶっつけ本番だったのだ。
ハンス・オフト監督からは「前半だけ出ろ」と言われたので、そのつもりでプレーした。試合は直前のスペイン合宿で露呈した守備の脆さがなくなり、相手を封じ込めた。
前半0−0で終わり、「交代だな」と思い、ロッカーでオフトを探した。
「チェンジと言われると思ってオフトの顔を見ていると、ぜんぜんこっちを見ないんですよ。目を合わせないまま結局後半もゴーになり、出ることになった。
延長までやってカズ(三浦知良)がゴールを決めて勝だったんだけど、ゼロに抑えたことで自分はできる、これならやれるなっていう自信がついた」
ただ、柱谷の病気は完治したわけではなく、37度2分の微熱がつづき、体の節々に痛みを感じた。
アメリカW杯最終予選のカタール・ドーハに入ると、暑さの影響で熱が下がらず、それまで肝臓に負担がかかると飲用しなかった薬を飲み、試合に臨んだ。
アメリカW杯最終予選のサウジアラビア戦は0−0のドローに終わった。続くイラン戦、日本は1−2で敗れて早くも土壇場に追いやられた。
「サウジはいちばん力があるチームなので、ドローはまあしょうがないという感じだった。でも、次のイランに負けたのは誤算だった。
ロッカーでラモス(瑠偉)が『向こうがユニフォームを泥だらけにして必死に戦っているのに、俺たちは誰のユニフォームが汚れている?
これで勝てるわけねぇーだろ』って怒っていた。そのとおりだなって思ったね」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200201-00885040-sportiva-socc
2/1(土) 6:00配信
386 :名無しさん@恐縮です:2020/02/01(土) 14:28:07 ID:tyvDW6eN0.net
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